スポンサーリンク
今回の記事では筆者が過去に行った仕事、特に2014年にフォーカスして記事を書きたいと思います。何故、筆者が2014年にフォーカスを当てたかと言うと2014年に3つの仕事を経験したからです。
1:マレーシアで仕事
2:ダニウェルウェリントン(DW)のホームページの翻訳(英語⇒日本語)
3:オーストラリア(シドニー)で韓国系留学代理店の仕事
その仕事もあまり苦労をせずに手に入れたので、どうやって手に入れたのかも解説したいと思います。参考に全くならないかもしれないですが、日本で多くの面接をして就職するのが馬鹿らしくなるかもしれません。
マレーシアでの仕事を手に入れた話
2014年、実は1ヵ月近くマレーシアで働いていたことがあります。正直、仕事と職場環境が合わなくて辞めてしまったのですが、マレーシアに行ったことは後悔していません。どのようにこのような話が来たかというと、これも面接などは無いです。
オーストラリアのワーホリ1年目期間で、ファームで働いて2年目のワーホリビザも手に入れたので日本に一時帰国をしてシドニーに帰って来てバックパッカーホテルに泊まっていた時でした。
カナダ人の友人からスカイプで電話が来ました。
ひじ~~~、うちの親父の会社で働かない?
突然の仕事のオファーです。良く知っている友人なので自分を騙すようなことはしません。4年間同じシェアハウスに住んでいた友人です。ただ、直ぐにYesとは言うことは出来ませんでした。理由は
1:韓国系留学代理店の仕事のオファーを既に貰っていた
2:ファームの仕事をして既に2年目のビザを手に入れていたので諦めないといけなくなる
3:日本からの一時帰国から帰って来てそんなに経っていなかった
3はどうでも良いとして、1と2を簡単に諦めて直ぐに「Yes」と答えることは出来ませんでした。彼のお父さんともスカイプで話して説得をされました。とりあえず少し考えさせて貰い、「Yes」と答えました。
彼のお父さんの会社は色んな国で工場を経営していて、本社は中国、工場を中国、マレーシア、インドネシアに持っていて、韓国と台湾にも経営事務所か何か持っているという話でした。自分が友人と共に配属予定だったのはマレーシアでした。彼のお父さんの会社で働くことに決めた理由は
マレーシアで働く経験なんてこの先出来ない可能性が高いから
1番、2番の理由よりもマレーシアに行って働いた方がより人生の経験になると思ったからです。結局、1ヵ月でマレーシアを離れてオーストラリアに戻ることになりましたが、今でもマレーシアに行く決断も離れた決断も正しかったと思っています。ちなみに、マレーシアでの条件はかなり良いものでした。
1:友人が将来の社長ポジション、自分が副社長になる予定だった
2:生活費など現地の負担は全て会社持ち。給料はマレーシアの中では良い方
3:会社のスタッフが生活の面倒を見てくれる(料理など)
間違いなく、人生で一番金に困らない生活でした
結局、仕事内容も職場環境も合わずに辞めてオーストラリアに戻ったのですが、国民の多くがイスラム教徒の国で宗教が仕事や生活習慣に大きく影響を与える環境を体験できたし、発展途上国の勢いも感じることが出来たので、本当に良い経験だったと今でも思っています。
ダニエルウェリントン(DW)での翻訳仕事を手に入れた話
2014年にこの会社の時計を購入された方は恐らく、筆者が日本語訳をしたものを会社のホームページで見ているはずです。
こちらのスウェーデンの会社のダニエルウェリントンですが、どうやってホームページの仕事を見つけたのか。。。
ウェブページで応募したの?
その仕事を貰うために面接でも受けたの?
2014年当時、ダニエルウェリントンは日本ではあまり認知されていなかったので私自身、何の会社かも知りませんでした。つまり応募をしていません。そして面接も受けていません。どのようにその仕事を得たかと言うと、
ひじ!ひじって英語が上手だよね?今働いている会社のホームページの日本語訳を作っているのだけど手伝って欲しい!
これだけです。昔、シェアハウスに一緒に住んでいたスウェーデン人がダニエルウェリントンの本社で働いていて、日本のマーケットを任されたので自分も手伝うことになりました。マレーシアで働いている忙しい時にオファーが来たので一瞬考えましたが、
マレーシアでの仕事が忙しいから、夜や週末などを使っての作業になるし、少し翻訳作業が遅くなるかも。それでも良いなら。
という条件付きで引き受けることにしました。
見返りはお金ではなく、時計とストラップでした。翻訳する長さによって時計とストラップを貰っていました。一時期、ダニエルウェリントンの時計9個といくつかのストラップを持っていたのですが、5つは韓国系留学代理店で働いていた時にお世話になった同僚に上げて、1つは母親に、2つは自分で使っていて1つは使っていません。。。
勉強のために自分で翻訳することはあっても、まさか今では日本でも認知度がそれなりにある時計会社のホームページの翻訳をするとは思っていませんでした。もちろん、やるからには分かりやすく、ちゃんとお客様に意味が伝わるように翻訳したつもりです。
友人との縁は大切にした方が良いと思いました
オーストラリアで韓国系留学代理店での仕事を手に入れた話
マレーシアでの仕事と留学代理店での仕事はほぼ同時期に決まっていました。結局、マレーシアの仕事を選んで、マレーシアの仕事を辞めて韓国系留学代理店で働くことになったのですが、それも比較的に簡単に手に入れることが出来ました。
最初は留学代理店のお客さんだった
こちらの留学代理店で元々はお客さんとしてお世話になっていました。日本人スタッフが退職されるとのことで自分に白羽の矢が立ったようなのですが、後から考えてみて、実際に留学代理店で働いてみて何となく理由は分かった気がします。筆者が留学代理店を通してファーム(農業)の仕事をしていた時、時折、その日本人スタッフの方に感謝のメールを送ることがありました。現地の状況を色々と報告していました。何でもかんでも報告というよりは、スタッフが知っておいた方が良いと思った情報は定期的に報告していました。
もちろん、言葉をきちんと選んで報告していました。3カ月半ほどファームで働いていたのですが、文句らしい文句を言ったのは一度だけです。それ以上に
ファーム生活めっちゃ楽しいです!良い時間を提供して貰えてありがとうございます!
と結構言っていたような気がします。もちろん、筆者はこれを心の底から思って言っていました。細かいハプニングや嫌な思いもしていますが、それを打ち消すほど良い経験を出来たと今でも思っているので。文句ばかり言っている人は論外だとして、他にも同じように思っている人はいたと思いますが、留学代理店のスタッフにそれを伝えていたのは恐らくはその当時、筆者だけだったと思います。
人への感謝は言葉にして出来るだけ伝えた方が良いです
感謝をされて恥ずかしいと思う人はいても嫌な思いをする人はほとんどいないと思うし、「サービスを受ける側としての心構え」も「サービスを提供する側としての心構え」と同じくらい昔から大切にしているつもりです。
お客としての心構え
「お金を払っているから良いサービスを受けるのは当然の事、感謝なんて伝える必要はない」という考えの人がいればそういう考えは嫌いです。
留学代理店の上司が近づいて来た
ファームの仕事が終わり、日本に一時帰国をして、シドニーに戻って来て留学代理店のオフィスに寄った時に留学代理店の上司が近づいて来て
ファームの仕事お疲れ様、どうだった?
と近づいて来ました。まあ、普通にたわいもない話をしていたのですが、突然、
今、時間ある?ちょっとご飯食べに行こうか
正直、ちょっと気持ち悪かったです。いきなりご飯に誘われるなんて。まあ、断る理由も特になかったので、一緒にご飯を食べに行くことにしました。
留学代理店の仕事に興味がないか聞かれる
昼ご飯を一緒に食べている時に突然聞かれました
留学代理店の仕事に興味ない?うちで働いてみない?
正直、留学代理店の仕事に興味はありました。というよりも、お客さんとしてサービスを受けていて改善した方が良いと思うことは結構ありました。なので、とりあえずそこを変えたいという思いはありました。
この時はまだ、マレーシアの仕事の話は友人から来ていません。そして留学代理店のボスからも
ケン(筆者)がうちの会社でどういうことが出来そうか、とりあえず考えてみて
という課題を渡されました。それをまとめているうちにマレーシアからオファーが来ました。
マレーシアから留学代理店に電話をする
マレーシアを去る決心をした時、シドニーの留学代理店のボスに国際電話で直接に電話をしました。そしてボスに言いました。
ここ(マレーシア)には自分のやりたいことがありませんでした。今でも留学代理店で採用枠はありますか?
一度蹴った会社の上司にこんな電話をするのは図々しいとは思いつつ、留学代理店でやりたいと思ったことがあったので、背水の陣で情熱を伝えました。
とりあえず、シドニーに帰って来たからまた話そうか
という流れになりました。
シドニーに帰ってスタッフに英語でプレゼンテーション
シドニーに戻った後、直ぐに留学代理店の方に足を運びました。そしてボスと話してこのように言われました。
とりあえず、一週間受付をしながらケンが会社で何が出来るかを考えてみて、それを他のスタッフにプレゼンしてみて(英語で)
その後、他の留学代理店のサービスについて調べたり、会社の強みをどのように活かせるかなど色々と調べて、他のスタッフにプレゼンテーションをしました。
なんか情熱が伝わった
人前で話すことは昔から経験があるので自信はありました。日本語だろうと英語だろうと言葉が変わってもあまり関係ありません。伝えたいことがはっきりしていれば問題ありません。
あっけなく採用されました
お客さんとの契約書を作ったり、カウンセリングをしたり、マーケティングをしたり、受付をしたり色んな事をしました。やりたいと思ったことは基本的にやらせてくれた上司だったのでそれなりに楽しくやらせて貰えました。
ビザの関係で仕事を辞めることになったのですが、今でも留学代理店での経験は活かされています。お金は無くなるものですが、知識や経験はそんなに簡単に無くならない一生の財産です。
チャンスは突然やって来るもの
2014年の経験は身体に染みついていて今でも、至る所で活かされていると考えています。外国人とつるんでいて思ったことは
日本での筆記試験、一次面接、二次面接~~~
がとても面倒臭くなったことです。普段から自己研鑽をして勉強をして、考えながら行動をしていればチャンスは突然に訪れると思っています。
そう考えると、私生活が全て面接に思えてきました
これからも自己研鑽をして準備万端で備えていきたいと思っています。
おまけ
ちなみに、3カ月くらいの間に、筆者は色んな街(町)を移動しています。マレーシアで働く前に台湾を旅行をしてみたいというのがあったので、友人にお願いをして働き始めるまでに期間を少し貰いました。日本国内で接待もあり、日単位で移動を繰り返しました。自分が移動したのはこちら
ヘイウッド⇒東京⇒メルボルン⇒ミルドラ⇒アデレード⇒シドニー⇒東京⇒台北⇒台中⇒台南⇒高雄⇒花蓮⇒台北⇒東京⇒福井⇒滋賀⇒東京⇒カジャン(マレーシア)⇒東京⇒シドニー
移動の繰り返しで疲れましたが、毎日のように変化があってとても楽しかったです。この時の経験があるせいか、フットワークが軽くなったような気がします。
You Tubeチャンネル: hijisan.channel
Twitter : https://twitter.com/hijisancom (Mobile : @hijisancom
スポンサーリンク
コメント